すごい小説を読んだ。タイトルは「もぐら」、作者は矢月秀作。中公文庫刊である。
あらすじは、警察がなかなか相手にしてくれない小さな事件や、人に言えないトラブルを解決するトラブルシューターを生業にする影野竜司(かげのりゅうじ)、通称、“もぐら”が、誘拐された妹を助けてくれという依頼を受けたところから、血で血を洗うやくざの抗争に巻き込まれていく・・・、というもので、別段ストーリー自体にはそれほど目新しさはない。
・・・と、いうか目新しさがないどころか、この小説、設定からキャラクター造形、筋運びに至るまでまるで1980年代からタイム・スリップしてきたような内容である。が、これに関してはネットで検索したら答えが出てきた。
この小説、元は1998年にノベルズとして刊行されたが人気が出なかったらしい。が、現在刊行すれば新鮮な作品として受け入れられるのではないかということで、携帯やインターネットなどの現代的小道具を書き足して改めて世に問うたそうだ。
この作品のどこが新鮮なのかというと、それは、バイオレンス描写だ。
とにかくこの作品の主人公、影野竜司はいたるところで暴力を振るう。そして、人間離れして強い。三人掛かりで喧嘩を売られても怯まずに余裕で勝ち、クライマックスでは得物を持った八人を相手に素手で勝つ。もはや化け物である。
何か馬鹿にしたようなことばかり書いたが、私はこの小説、結構気に入っている。「また喧嘩始めたよ」とニヤニヤしながら結構楽しんで読んだ。続刊がでているようだが、機会があったら読んでみたい。
2013年3月11日月曜日
2013年3月10日日曜日
ドキドキプリキュア第6話。
今日の「ドキドキプリキュア」で、ついにキュアソードの正体が明らかになった。まあバレバレだったけどな。ただ、真琴(変身前のキュアソード)のマネージャーが妖精だというのはさすがに読めなかった。
今までのキュアソードは、主人公のマナ達がプリキュアになる前から戦っていので、謎めいた存在として描かれていた。そのため、キュアソードの正体、剣崎真琴も欠点のないスーパー少女として描かれていたが、今回は料理がまったく駄目だという欠点を見せて、親近感を感じさせる仕掛けが施されている。
まあ、この料理オンチは、天然ではなく、料理をすること自体が初めてで、それを克服するために料理を学ぶうちに、ほかのプリキュアと親交を深めてゆく。
個人的には、もう少しの間正体を明らかにせずに引っ張ってもらいたかったが、真琴にマナが暑苦しくつきまとう展開ばかりもアレなので、これで良かったのかもしれない。
今までのキュアソードは、主人公のマナ達がプリキュアになる前から戦っていので、謎めいた存在として描かれていた。そのため、キュアソードの正体、剣崎真琴も欠点のないスーパー少女として描かれていたが、今回は料理がまったく駄目だという欠点を見せて、親近感を感じさせる仕掛けが施されている。
まあ、この料理オンチは、天然ではなく、料理をすること自体が初めてで、それを克服するために料理を学ぶうちに、ほかのプリキュアと親交を深めてゆく。
個人的には、もう少しの間正体を明らかにせずに引っ張ってもらいたかったが、真琴にマナが暑苦しくつきまとう展開ばかりもアレなので、これで良かったのかもしれない。
2013年3月9日土曜日
シューティング今昔。
スカパー!やCATVにあるTV局は、局のテーマに沿った番組を24時間休みなしで放映している都合上、頻繁に再放送がある。モンドTVの「シューティングゲーム攻略軍団参上」もその一つだ。私は初見なのだが、すでに何度か再放送されているとのこと。
「シューティングゲーム攻略軍団参上」で取り扱うゲームは、一部を除きシューティングゲーム史上重要な作品が扱われていて、制作者も「わかっている」人のようだ。
ところで、最近ゲームセンターに通いだした、という人から見て、シューティングゲームはどう映っているのだろう?「一部の変人だけがやるゲーム」だと思われていたとしても私は驚かない。実際に私もそう思う。しかし、シューティングはかつてゲームの花形だった。疑う人がいても、これは曲げようのない事実だ。
昔のシューティングって、反射神経が良いやつだけが上手くなれたんじゃないか?と思う人もいるだろう。確かにそういうゲームもあった。しかし、「名作」と呼ばれるゲームはどれも知的なアプローチなしでは上達できない。
例えば、「ゼビウス」。ある程度までは反射神経だけで上達できるが、1000万点を目指すとなると、地上のマップを覚え、空中の敵の出現パターンを覚え、地上のレーダーを破壊することで空中物の出現パターンが変わるのを知り、地上の敵が面倒な難所に強い空中の敵を出現させないように調整しなければならない。
先にもいったが、「名作」と言われるゲームはシューティングに限らず、プログラマーとの「知恵比べ」が楽しめるものばかりである。
しかし、その中でシューティングだけがなぜあぁも異様な、「一見さんお断り」的なものになっていったのか?答えは、「派手な見せ場」と「知恵比べの行き詰まり(=パターン化しなければ先に進めない)」にあると思う。
技術の向上によって、派手な見せ場を用意できるようになってから、ゲームの排他化は始まったと思う。派手な見せ場を見るためには俺の作った罠を乗り越えてきな!とばかりに難易度は上がり続け、そして反射神経だけではどうにもならない、“パターン化しなければ先に進めない”ゲームが増えてきた。そしてシューティングはファンが多かったから、どこまで一般的に「異常」になっても付いて行くプレイヤーが多かった。
今はもう友達と騒げるようなゲームばかりになったゲームセンターで、ドライブゲームとシューティングゲームだけがひっそりと「一人だけで遊べるゲーム」として残っているのは、ドライブは車好きが多いから、そしてシューティングはかつてゲームの花形だったから未だにプレイヤーが残っているからだろう。
レトロゲームに栄光あれ。
「シューティングゲーム攻略軍団参上」で取り扱うゲームは、一部を除きシューティングゲーム史上重要な作品が扱われていて、制作者も「わかっている」人のようだ。
ところで、最近ゲームセンターに通いだした、という人から見て、シューティングゲームはどう映っているのだろう?「一部の変人だけがやるゲーム」だと思われていたとしても私は驚かない。実際に私もそう思う。しかし、シューティングはかつてゲームの花形だった。疑う人がいても、これは曲げようのない事実だ。
昔のシューティングって、反射神経が良いやつだけが上手くなれたんじゃないか?と思う人もいるだろう。確かにそういうゲームもあった。しかし、「名作」と呼ばれるゲームはどれも知的なアプローチなしでは上達できない。
例えば、「ゼビウス」。ある程度までは反射神経だけで上達できるが、1000万点を目指すとなると、地上のマップを覚え、空中の敵の出現パターンを覚え、地上のレーダーを破壊することで空中物の出現パターンが変わるのを知り、地上の敵が面倒な難所に強い空中の敵を出現させないように調整しなければならない。
先にもいったが、「名作」と言われるゲームはシューティングに限らず、プログラマーとの「知恵比べ」が楽しめるものばかりである。
しかし、その中でシューティングだけがなぜあぁも異様な、「一見さんお断り」的なものになっていったのか?答えは、「派手な見せ場」と「知恵比べの行き詰まり(=パターン化しなければ先に進めない)」にあると思う。
技術の向上によって、派手な見せ場を用意できるようになってから、ゲームの排他化は始まったと思う。派手な見せ場を見るためには俺の作った罠を乗り越えてきな!とばかりに難易度は上がり続け、そして反射神経だけではどうにもならない、“パターン化しなければ先に進めない”ゲームが増えてきた。そしてシューティングはファンが多かったから、どこまで一般的に「異常」になっても付いて行くプレイヤーが多かった。
今はもう友達と騒げるようなゲームばかりになったゲームセンターで、ドライブゲームとシューティングゲームだけがひっそりと「一人だけで遊べるゲーム」として残っているのは、ドライブは車好きが多いから、そしてシューティングはかつてゲームの花形だったから未だにプレイヤーが残っているからだろう。
レトロゲームに栄光あれ。
2013年3月6日水曜日
眼鏡フェチ。
私は眼鏡っ娘が大好きだ。現実の眼鏡っ娘も好きだが、ここでは二次元世界の眼鏡っ娘について語りたい。
私は新しいアニメを見る時、最初に眼鏡っ娘を探す。眼鏡っ娘が一人もいないという理由だけで見なかったアニメもあるくらいだ。
眼鏡っ娘の魅力は何かというと、まず見た目である。もう眼鏡を掛けているというだけで可愛い。次に眼鏡っ娘特有の性格だ。
こういうと、眼鏡を掛けている人がみんな同じ性格の訳が無い、と反論する人もいるだろうが、二次元世界はお約束、記号化の世界だ。眼鏡を掛けている娘の性格はどれもこれも大体似たようなものになる。私の知る限り例外中の例外はロベリア・カルリーニくらいだ。
ロベリア・カルリーニはゲーム、「サクラ大戦3」に登場する眼鏡っ娘で、巴里の悪魔と呼ばれた大悪党。懲役は累計1000年。主人公達の仲間になるのは減刑と報酬のためで、昼間から酒を飲み、仲間にうちとけず、彼女をヒロインとしてエンディングを迎えない限り改心もしない。ロベリアはそんな異色の眼鏡っ娘だが、カッコ良くて好きだ。
ところで、プリキュアシリーズの眼鏡っ娘は、登場したころは眼鏡をしているが、しばらくすると眼鏡を外すパターンが多い。これはどこかのうるさい団体が「キャラクターの区別をつけるために身体的欠陥を利用するのはけしからん」とかいってくるのを避けるためだろうか?今の「ドキドキプリキュア」の菱川六花(ひしかわ りっか、キュアダイヤモンド)は今のところ集中する時や勉強や手紙を書くときに眼鏡を掛けているが、オープニングに眼鏡姿を披露しているのだから例年のようにうやむやにはならないで欲しい。
私は新しいアニメを見る時、最初に眼鏡っ娘を探す。眼鏡っ娘が一人もいないという理由だけで見なかったアニメもあるくらいだ。
眼鏡っ娘の魅力は何かというと、まず見た目である。もう眼鏡を掛けているというだけで可愛い。次に眼鏡っ娘特有の性格だ。
こういうと、眼鏡を掛けている人がみんな同じ性格の訳が無い、と反論する人もいるだろうが、二次元世界はお約束、記号化の世界だ。眼鏡を掛けている娘の性格はどれもこれも大体似たようなものになる。私の知る限り例外中の例外はロベリア・カルリーニくらいだ。
ロベリア・カルリーニはゲーム、「サクラ大戦3」に登場する眼鏡っ娘で、巴里の悪魔と呼ばれた大悪党。懲役は累計1000年。主人公達の仲間になるのは減刑と報酬のためで、昼間から酒を飲み、仲間にうちとけず、彼女をヒロインとしてエンディングを迎えない限り改心もしない。ロベリアはそんな異色の眼鏡っ娘だが、カッコ良くて好きだ。
ところで、プリキュアシリーズの眼鏡っ娘は、登場したころは眼鏡をしているが、しばらくすると眼鏡を外すパターンが多い。これはどこかのうるさい団体が「キャラクターの区別をつけるために身体的欠陥を利用するのはけしからん」とかいってくるのを避けるためだろうか?今の「ドキドキプリキュア」の菱川六花(ひしかわ りっか、キュアダイヤモンド)は今のところ集中する時や勉強や手紙を書くときに眼鏡を掛けているが、オープニングに眼鏡姿を披露しているのだから例年のようにうやむやにはならないで欲しい。
2013年3月5日火曜日
高千穂節、唸る。
高千穂遥さんの小説、クラッシャージョウシリーズの新作、「水の迷宮」を読んだ。とにかく、読み始めたらイッキ読み。あっという間に読めた。サブキャラが立ちすぎて肝心の主人公らのチームの活躍が少なかったのは残念だが、独創的なアイディア、巧みな筋運び、迫力のアクションと相変わらず読ませる。
クラッシャージョウシリーズは1977年から朝日ソノラマから刊行されたスペースオペラ・シリーズで、聞くところによると、「日本初の小説でのスペースオペラ」だそうだが、SFマニアでない私には真偽のほどは分からない。
シリーズは一度は終了した(とはいっても明確な最終回の記述があったわけではない)が、2000~2003年に掛けて、既存の作品を内容はそのままで、当時の高千穂さんの筆力で全面改稿。その後シリーズが再開した。しかし、朝日ソノラマが倒産。もう終わりか、と思われた。
だが、シリーズはハヤカワ文庫から再刊した。「水の迷宮」の帯によると、別巻の再刊も決定したようで、これで出版社の引越しが全巻完了することになる。
スケールの大きい設定やSF的な面白さは、クラッシャージョウが飛び抜けて優れているわけではない。ならばこのシリーズの独創性はどこにあるのかといえば、アクションの迫力と徹底性にあると思う。
タイトルに「クラッシャー」とあるせいか、とにかくアクション・シーンが多く、そしてありとあらゆるものを壊しまくるのでスカっとする。
ただ、発表された時代が古いせいか、キャラクターの造形は若干古臭い(魅力がないわけではないので誤解なきように)。それでもまだ読まれているのは、ストーリーとアクションの迫力が時代を越えていたからだろう。
クラッシャージョウシリーズは1977年から朝日ソノラマから刊行されたスペースオペラ・シリーズで、聞くところによると、「日本初の小説でのスペースオペラ」だそうだが、SFマニアでない私には真偽のほどは分からない。
シリーズは一度は終了した(とはいっても明確な最終回の記述があったわけではない)が、2000~2003年に掛けて、既存の作品を内容はそのままで、当時の高千穂さんの筆力で全面改稿。その後シリーズが再開した。しかし、朝日ソノラマが倒産。もう終わりか、と思われた。
だが、シリーズはハヤカワ文庫から再刊した。「水の迷宮」の帯によると、別巻の再刊も決定したようで、これで出版社の引越しが全巻完了することになる。
スケールの大きい設定やSF的な面白さは、クラッシャージョウが飛び抜けて優れているわけではない。ならばこのシリーズの独創性はどこにあるのかといえば、アクションの迫力と徹底性にあると思う。
タイトルに「クラッシャー」とあるせいか、とにかくアクション・シーンが多く、そしてありとあらゆるものを壊しまくるのでスカっとする。
ただ、発表された時代が古いせいか、キャラクターの造形は若干古臭い(魅力がないわけではないので誤解なきように)。それでもまだ読まれているのは、ストーリーとアクションの迫力が時代を越えていたからだろう。
2013年3月3日日曜日
キュアソードの憂鬱。
今や東映アニメ、ABCテレビの看板シリーズとなった「プリキュア」シリーズの最新作、「ドキドキプリキュア」は、最初のうちは前作の「スマイルプリキュア」の絵柄が好みだったせいで、なかなか絵に馴染めなかったが、最近ようやく慣れた。
そんなわけで、第5話である。
第4話まで、主人公、相田マナ(キュアハート)はトントン拍子にプリキュア仲間をふやしていったが、やはり毎回これじゃワンパターンだと思ったのか、第5話はこの娘が新しい仲間なのかな?と引っ張って終わらせている。
その“疑惑”の娘の名は剣崎真琴(けんざきまこと)。現役のアイドル歌手。アイドルとして愛想を振りまくのには慣れているが、実像は不器用でなかなか素直になれないという、なかなか可愛い娘である。
彼女がプリキュアじゃないかと疑問視されるのは、敵と戦っていた姿が監視カメラに映っており、それが撮影された日に剣崎真琴も近くにいたからである。
第5話では、その「キュアソード」はやはり「正体不明」のまま現れる。そして圧倒的な強さを見せて消える。このアクションシーンがなかなか格好良い。
まぁどうせ剣崎真琴がキュアソードなのはバレバレなんだが、序盤のテンションが下がって、いつものようなルーチンワークのお話になってしまう前に、もう少し引っ張って、テンションを維持してもらいたい。
そんなわけで、第5話である。
第4話まで、主人公、相田マナ(キュアハート)はトントン拍子にプリキュア仲間をふやしていったが、やはり毎回これじゃワンパターンだと思ったのか、第5話はこの娘が新しい仲間なのかな?と引っ張って終わらせている。
その“疑惑”の娘の名は剣崎真琴(けんざきまこと)。現役のアイドル歌手。アイドルとして愛想を振りまくのには慣れているが、実像は不器用でなかなか素直になれないという、なかなか可愛い娘である。
彼女がプリキュアじゃないかと疑問視されるのは、敵と戦っていた姿が監視カメラに映っており、それが撮影された日に剣崎真琴も近くにいたからである。
第5話では、その「キュアソード」はやはり「正体不明」のまま現れる。そして圧倒的な強さを見せて消える。このアクションシーンがなかなか格好良い。
まぁどうせ剣崎真琴がキュアソードなのはバレバレなんだが、序盤のテンションが下がって、いつものようなルーチンワークのお話になってしまう前に、もう少し引っ張って、テンションを維持してもらいたい。
2013年3月2日土曜日
キャラクターが良ければ話なんてどうでもいい?
この間放映されたアニメ、「ビビッドレッドオペレーション」で不覚にも泣いてしまった。別にこれといった“泣ける”シーンがある話ではない、ごく普通の“ちょっと切なくなる”話だったのに、なぜ泣けたのかというと、これはもうキャラクターの魅力だとしかいえない。とにかくか可愛くて、良い娘たちなのだ。
「ビビッドレッドオペレーション」ははっきりいって中途半端なアニメだ。オタク心をくすぐる最新兵器が登場するし、近未来SFの設定が凝っているようにもみえる。しかし、これらの要素の資料調べや設定のつきつめはそんなに深くないと思う。
なぜなら、作り手の関心は、主役クラスの四人の女の子を可愛らしく描くことに注がれているとしか思えないからだ。
ごく平凡な、良い子。思わず“こんな娘が欲しいっ”といいたくなる仲良し四人組。だからこそ彼女たちが戦う姿は素直に応援したくなるし、はらはらする。なんでもないようなエピソードで泣いてしまったのは、これが原因だ。
「ビビッドレッドオペレーション」ははっきりいって中途半端なアニメだ。オタク心をくすぐる最新兵器が登場するし、近未来SFの設定が凝っているようにもみえる。しかし、これらの要素の資料調べや設定のつきつめはそんなに深くないと思う。
なぜなら、作り手の関心は、主役クラスの四人の女の子を可愛らしく描くことに注がれているとしか思えないからだ。
ごく平凡な、良い子。思わず“こんな娘が欲しいっ”といいたくなる仲良し四人組。だからこそ彼女たちが戦う姿は素直に応援したくなるし、はらはらする。なんでもないようなエピソードで泣いてしまったのは、これが原因だ。
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